苦言熟考 第382回 安倍晋三が日本を破壊し続けている  10

 

【再掲載 自虐好きなのはだれ?】

  安部首相は以前「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の事務局長だったのですね。

  この会がどういうものだったかというと、たとえば“従軍慰安婦”問題については「歴史教科書の従軍慰安婦の記述については<自虐史観>だから見直しを求める」というようなことを主張をするわけです。

  “従軍慰安婦”に関するアメリ議会での決議案を受けて首相がつい先日<中国や朝鮮半島日本軍が自らかかわって強制連行したという事実はない>と再び言い張ったのは、同会の事務局長だった人としてはきわめて当然だったといえましょう。

  問題なのは、それがただの<悪あがき>にすぎないということに当人が気づいていない、あるいは、気づかないふりをして平気でいることです。

  当時、いったいだれが日本軍の意向に反して外国人を強制的に“慰安婦”に仕立てることができたというのでしょう?軍が直接強制連行したこととだれかに強制連行させたこととのあいだにどんな違いを見ようというのでしょう?

  こんな<子供だまし>の論理が世界に通用すると信じている人が、情けないことに、いま日本の首相なのですね。

  それにしも、この会の人たちがいう<自虐>って何なのでしょうか?

  <自虐史観>の持ち主は本当はだれなのでしょうか?

  あの戦争中に日本がアジア諸国で行なった悪行を素直に認めて、誠心誠意で詫びるのがなぜ<自虐>行為と呼ばれるのか、わたしには不思議でなりません。

  ところで、場違いなところからの引用ですが、こういう文章に先日出合いました。

  「過ちを進んで認める勇気さえあれば、だいたいの場合取り返しはつく。しかし想像力を欠いた狭量さや非寛容さは寄生虫と同じなんだ。宿主を変え、かたちを変えてどこまでもつづく。そこに救いはない」

  (村上春樹海辺のカフカ新潮文庫 上巻 385ペイジ 図書館員大島の言葉)

  小説中の図書館員・大島がここで「心から恐れ憎む」のは、具体的には、この私立の小さな図書館に対して強硬に“改善”を求める、硬直した女権拡張主義者の女性たちですが、「そこに救いはない」のは安部首相もおなじです。

  この女性たちが“女権拡張”を金科玉条として、それを自分たちの存在理由にしているのに対して、安部首相(と多くの自民党員たち)は、“大日本帝国”の過去の“栄光”を自分たちの存在の支えにしているのです。そうしなければ(海外諸国との関係で)自分(たち)を見失ってしまう、と恐れているからです。

  首相(たち)はそんな“栄光”を「宿主」として、そこにとりつきつづけることでしか自信が持てない、つまりは、劣等感にすっかり包み込まれた「寄生虫」なのです。その“栄光”に影をさしかけるような事実はすべて否定しないことには、自分たちの自信の根拠がなくなってしまう、とおびえる…。

  気の毒な話です。

  いや<気の毒>などといっていてはいけませんね。この人たちは現に(数十年間にわたって)“権力”を手中にしているのですから。それだけ危険なのですから。

  安部首相はいま、持っている“権力”を背景にして、その「宿主」を<美しい国>という名の、嘘でできあがった観念に切り替えようとしています。過去の事実をゆがめ、否定するだけでは足りず、日本の将来までもおかしなものにしてしまおうとしています。60年以上の年月を費やして(たとえば、倫理感を欠いた政治家や大企業が大手を振って跋扈する)<醜い国・日本>つくりあげてしまった自分たちの責任は問わないまま。

  “従軍慰安婦”に対するその対応に、韓国、中国、北朝鮮だけではなく、アメリカやヨーロッパ諸国からも冷ややかな反発をくいながらも、こそこそと、しかも必死の思いで「宿主」に寄生しつづけようとする安部首相(たち)こそ“自らを虐げて”嬉々としている<自虐>愛好者に見えませんか?

  過去の事実を正々堂々と受け入れられず、国際社会の表情を常に上目遣いにうかがいつづける<自虐>者に?

  …それが安部首相(たち)の真の姿です。

  でも、安部首相(たち)の自信のなさ、劣等感のせいで、すべての日本国民がまるで「寄生虫」であるかのように世界で見られてはかないません。

  多くの日本人は「過ちを進んで認める勇気」を持っています。そこから先に広がる正の、肯定的な「想像力」を備えています。

  この人たちにはおおらかな、自信に満ちた、世界に愛される日本の姿が見えています。

  <自虐>愛好者、自信喪失者の安部首相(たち)に日本の将来を託してはなりません。